2013年11月30日土曜日

蛇と富士山

起きがけに夢を見た。ひとつながりの夢はほとんど脈絡もなく場面が転回してゆき、それぞれ感情でも反応して退屈させることがない。寝ているのに感情があるというのは、夢を見ている時には当たり前のようだが、考えてみると不思議だ。起きてみると、その時の感情が蘇ってくる。普通だとほとんど思い出せないのだが、今日は余裕があるせいか、布団の中で思い出し、映像の詳細を思い出していた。

今日の夢で覚えている部分は富士山と蛇の夢。登山が好きなので富士山はわかるが、たまに見る蛇の夢は不可解だ。確かに子どもの頃、たまに蛇を捕まえて遊んだ記憶が夢に出てくるのか・・・少し不気味な内容だったので、蛇を虐待した子どもの頃の記憶が、影を落としているのかもしれない

私の夢は、ほぼフルカラーだ。写真の仕事をしていて、いつも色彩のことを気にしているからだと思うが、その色彩がとても微妙な色合いで、写真に再現できたらいいなと思うが、それが敵わぬから、ああきれいだと思うような微妙な中間色の被写体?が夢に出てくるのだろうか。


高松市の大島の神社にて


脈絡のなさは夢ばかりではなく、起きていてもあれこれ脈絡のないことをを考えていることが多い。夢もうつつも対して変わらないのかもしれない。起きているときは痛いとか寒いとかということを直接的に感じるが、夢の時にはそういった皮膚感覚はほとんどないような気がする。でも起きている時も夢のような感覚になることがあり、夢とうつつの絶対的な違いということがなんなのかということについてよく考える。

写真は実体ではあるが、実体としての写真にはそれほど深い意味があるわけではなく、写っているものが個人の思い出や感覚に訴えてきて、イメージを喚起する。見る上では痛いも寒いもない。その点において夢に近いとも言える。