先日、ペンタックスフォーラムより645Dのデモ機をお借りした。4000万画素のボディは少しずんぐりしてEOS1DsMark3の35ミリタイプ一眼レフに慣れた手には少し持ちにくさを感じましたが、これは慣れれば何とかなるのではないかと感じました。今まで二十年近く使ってきたEOSで慣れた使用感覚から移行するときの新鮮な感覚だと思えば、かえって楽しい。反面思ったよりも重量感がなく、長くて重いレンズをつけた場合に少しバランスが悪くなる不安感はあったが、車のシートなどに置いた場合の座りはとてもいいです。シャッターを切ったときのショックは驚くほど少なく、ミラーアップなしの手持ちでもブレが少なく押さえられそうです。これはミラーアップして、手持ちでも15分の1秒で切れたペンタックス67を思い起こさせてくれました。フィルム時代の67サイズを凌駕する画質にも関わらず、35ミリタイプと同じように使える手軽さがあります。もしかすると私の使っているEOS以上にカメラブレやシャッターブレは少ないかもしれません。しかも抑えた価格設定で、防水性能を高めたボディは、過酷な自然環境の中に持って出るのも気になりません。
今回借りたデモ機での撮影は、ほぼ雨の中での撮影となりました。レンズが濡れることを気遣い、自分で傘を差したりタオルを被せたりしながらの手持ち撮影がほとんどでしたが、シャッターブレも少なく、慣れれば安心して作画に専念できるカメラだと思いました。風景撮影においても迷うことなく、手持ちで撮影しようという気持ちになれるというのはとても大切なことだと思います。なぜかというと、三脚を持ち出してセッティングする手間も惜しいほどに自然の風景は変化のスピードが速く、ある意味、人物の表情などよりも再現不可能なシャッターチャンスが多いのが自然の風景なのではないかと思います。
特に、新潟の雨霧雪などの湿潤な気候の地域で風景撮影をする場合には、防水性能や堅牢性は大切な要素だと思います。ペンタックス67のように、山岳撮影にも気にせず持って行きたくなるカメラの伝統は継承されているのではないかと感じました。そして機械だということを忘れさせてくれるカメラが私にとってこの上ないカメラなので、使っているうちに馴染み、機材感もなくなり、自然の息吹を感じることに何の障害もなくなってくるようなカメラだとありがたいなと思いました。人物撮影にも言えることだと思いますが、被写体との間にカメラが介在していることが気にならなくなるカメラになると、いい写真が撮れるようになるのではないかと思います。
デジタルは特に画素数や画質がいいに越したことはありません、特に最近は大判プリンターを使った大伸ばしや、画像処理によって損なわれてしまう画質を考えると、少しでも大きい解像度の方がいいので、(EOSに比べると)ノイズの少ないシャドー、使用するときに極力長辺をカットしなくてもよいフォーマットじゃないのがありがたいです。
欲しくなってしまったのは言うまでもない。しかし後戻りができなくなってしまう怖さがあります。フィルム時代には考えられないほど速い機材の買い換えサイクルの短さ。それとともに、更新するパソコンやソフト。デジタル時代になって我々の業界の仕事のあり方が激変し、決していい方向には向かっていない撮影料金の問題など。フィルム時代と比べるとかえってコストがかかる割には、回収しにくい時代です。
今回色彩のモードはナチュラルで通しましたが、これは後で必ず現像処理でイメージカラーに仕上げるために、画質の劣化を最小限に抑えるためです。特にシャドーを、思った色と明るさにコントロールしやすい645Dのデータは非常に助かります。かなり暗い部分までつながっていてくれる安心感があります。色彩の美しさはメリハリのあるはっきりした色で感じるというよりも、無限に変化してゆく色と明るさを、その通りに表現してくれるところに感じるのではないかと思うので、特にシャドーとハイライトに向かっていくグラデーションの部分が大事。潜在意識に訴えてくるようなところまできちんとつながってゆくような色彩の破綻のなさを表現できることがハイエンドカメラには求められると思います。